ここぞという時に頼ってしまう存在

「書かれた文章」において、
書き手は常に読み手を意識して書くものだと思います。
もちろんその意識する度合いは大小様々です。
書かれた文章は、「自分以外の第三者に内容を閲覧される」という
前提のもとに存在し、常にその呪縛が存在するわけです。

例えば日記を書く時、書き手は今日一日で起きた
出来事を頭の中だかノートだかに棚卸しを行います。
そして書く事柄をピックアップし、肉付けを行いながら
書き進めてゆくのが一般的ではないでしょうか。
つまり、全ての事柄が「採用」されているわけではなく
選ばれた事柄のみが日記の中に登場し、読み手へと伝わる。
すなわち、情報の取捨選択が行われていると言えるでしょう。

具体的に言うと、ある日、僕が日記を書こうとしたとき、
以下のような事柄を棚卸ししたとします。


■朝起きたらTOKIOのメンバーの一員になっていた。

なぜかメンバーからは「サブリーダー」と呼ばれる

■「ぜんじろう」が会社の同期だ
■「株式会社マエカブ」ってのがもしあったら紛らわしいなあと気づく

■「株式会社アトカブ」のほうが領収書書いてもらうとき
さらに紛らわしいなあと気づく

北朝鮮に午後から出張

■実は単に一日中オナニーしてただけ
■世界の征爾(小沢氏)に「きみフィルハーモォナニー楽団だよ!」と名づけられ嬉しくなり、

このHNでチャットルームに参戦してみた

この7項目だった場合、おそらく「一日中オナニー」が
「不採用」にされると思うんですよね。
一番平凡で読み手にとっちゃ面白くないだろうと
予測されるためです。
いつもは片手なんです、いやむしろ両手でするのが好きなんですけどね、
とか僕に述べられても不快なだけじゃないですか。


・・といった、以上の内容を踏まえ、我らがMAX兄貴の5月9日の日記を
ご覧いただければ幸いです。
前回の執筆から三ヶ月ぶりの、待ちに待った待望の更新。
きっと超巨大感動スペルマタクルに違いない!
http://blog.livedoor.jp/akamax0610/

(「たいした事はできません」より)